天日槍(アメノヒボコ)の神話①
「海を渡ってきた王子」
 新羅にある、アグヌマ(沼)で昼寝をしていた娘に光が射し、赤い玉を産みました。それを見ていた若者が赤い玉が欲しいと娘より譲り受けました。
 ある日の道中、新羅の皇子天日槍の前を若者が横切り、怒った天日槍に若者が許して欲しいとアグヌマで譲り受けた赤い玉を差し出します。
 天日槍が城に持ち帰ると赤い玉は美しい姫になり、后にしました。后の名をアカルヒメと言います。
 しばらくは幸せな日々でしたが、天日槍が威張るようになり、耐えられなくなったアカルヒメは親の国である、日本へ帰ると言い、難波のひめこそ社の神となります。
 天日槍は新羅の皇子という位を弟に譲り、妻の後を追って海を渡り日本に辿り着きますが難波に入ることは許されませんでした。
 そうして但馬の地へ移り棲んだとされています。

天日槍(アメノヒボコ)の神話②
「出石の地を開いた神」
 但馬の出石の地に棲むことになった天日槍は、村長であるフトミミの娘マタヲを妻にしました。
 そのころ、但馬の出石や豊岡の盆地は湖で、狭い平野はたびたび洪水に見舞われ、人々は大変困っていました。
 天日槍はこの様子を床尾山の上から見ていて、円山川の河口にある瀬戸の大岩を取り除けば水を海に流せると考えました。しかし、それには大きな工事が必要で、今まで誰にも出来なかったことでした。
 天日槍は、大陸の進んだ技術や知識を持っていました。村の人々を集めて、まず鉄の道具をたくさん作る方法を教えました。また皆の役割を決め、力を合わせて大岩を動かす方法を皆に教えました。
 つらい作業が続いたのですが、ついに大岩が動きました。水は海に流れ、そして大地が現れました。こうして但馬の地はお米がたくさん獲れる豊かな田園となったのです。
 天日槍は人々に感謝され、それからずっと
出石神社に神として祀られています。
 この物語は「いずし古代学習館」(出石町袴狭)に展示されています。

国土交通省の日本の川 近畿 円山川の記載されている
アメノヒボコ伝説より
 古代の但馬(たじま)は、日本海の「海の道」を通じて大陸との交流が盛んに行われた地域で、代表的な伝説の一つに「アメノヒボコ伝説」が存在します。
 朝鮮半島の新羅(しらぎ)の王子アメノヒボコは、今からおおよそ二千年前、垂仁(すいにん)天皇の時代に但馬に渡って来たと伝えられています。
 『古事記』には「天之日矛(あめのひぼこ)」、『日本書紀』には「天日槍(あめのひぼこ)」と記されているアメノヒボコは、但馬に製鉄技術を伝え、大規模な治水工事を行って繁栄の基礎を築いた「但馬開発の祖神」とされているのです。
 遠い昔、円山川は広い入り江湖で河口まで土砂が堆積し、その一帯が泥海で毎年のように大水の被害に苦しめられていました。 そこで、アメノヒボコが瀬戸と津居山(ついやま)の間の岩山を切り開き、泥流を日本海に流して肥沃(ひよく)な但馬平野を現出させたというのです。そのアメノヒボコの功績が讃えられ、現在、但馬の一の宮の出石(いずし)神社(豊岡市出石町)に祭神として祭られています。
私も、数年前までこの認識でした。
調べれば調べる程、歴史の大きさに驚かされました。
歴史は時の権力者によって書き替えられる。
その最たるものが、古事紀、日本書紀でした。
ただ、アメノヒボコを歴史上から消せない理由があったのです。

【天日槍と新羅①】
 天日槍は新羅の皇子とされていますが、何か凄く違和感があって、韓国にも何か残っているはず、そう思っていたとき仕事で知り合った韓国の方に「新羅について、天日槍について知っていますか?」と訪ねました。
 その時は、「知らない」と言われていましたが、後で調べてくれて、天日槍に似た伝説がある。そのテーマパークもあると教えてくれました。
 新羅では、「延鳥郎(ヨンオラン)が海で藻をとっていると、たちまちそのひとつの岩が動き出し日本へ帰って行った。妻の細鳥女(セオニョ)も夫の後を追い、同じ場所に立ったとき、岩が動き出して、日本に帰った。日本の人々は、国王と貴妃にした。」との伝承があります。
 また、太陽神の現し身であった天日槍が、新羅から居なくなるとたちまち太陽が陰り農作物が育たなくなり飢饉に見舞われたので、戻るように嘆願すると、霊力の籠もった布を贈り、これを私だと思って祀りなさい。するとたちまち太陽が現れ農作物が育ち人々は救われたともあります。
 天日槍=延烏郎(えんうろう韓国読みヨンオラン)
 アカル姫=細烏女(さいうじょ韓国読みセオニョ)。
 古事記の伝承は「天日槍は赤い玉のアカル姫を娶り、しばらく幸せな日々だったが、長く続かず親のいる国へ帰ったアカル姫を追って日本にやってきた新羅の皇子」
 日本の天日槍アメノヒボコの伝承と韓国の延烏郎ヨンオランの伝承は対であるように思えます。
 天日槍が但馬に棲む前は、近江にも縁があり琵琶湖の北の小さな湖は余呉湖と言い天女伝説があります。余呉はヨンオとの読みもあるようです。
 アカル姫のセオニョのセオは鉄を意味し、親のいる日本へ帰ると言った親の居場所は大阪。難波の比売碁曾(ひめこそ)の社に鎮まる阿加流比売神(あかるひめのかみ)。

【天日槍と新羅②】
 天日槍は新羅の皇子とされていますが、実は日本にルーツがあると考えています。
 去年2月、古代丹波歴史研究所の伴とし子先生に、「歴史に見る但馬魅力~大丹波王国」の講話をして頂きました。
 二千年以上前の海外(新羅)の伝承「三国史記」に、第四代脱解尼師今(だっかいにしきん韓国読みタルヘ イサコミ)が即位した年齢は62歳であった。
 脱解王はむかし多婆那(たばな)国で生まれた。その国は倭国の東北一千里とあり、そこは「三国遺事」に、竜城国のものとも記されている。
 多婆那国とは、但馬・丹波国ではないか。
その第四代脱解王の後、第八代新羅王が天日槍だということでした。
下記の文献によると。
 「新撰姓氏録」によると、神武天皇の兄である稲氷(いなひ)命が新羅の祖(朴氏の始祖で初代王の朴赫居世居西干(かくきょせい きょせいかん韓国読みパクヒョッコセ))。
 「三国史記」によると、新羅の建国時に諸王に仕えた重臣である瓠公(ここう)は日本人(倭人)。
 「三国遺事」によると「朴」は辰韓の語で瓠(ひさご)を意味する(朴氏の始祖である赫居世居西干は倭種で瓠公は倭人、倭人は九州で倭種は本州とする説がある)
 「三国史記」によると新羅三王家の一つ金氏の始祖である金閼智を発掘したのは瓠公(朴氏昔氏瓠公も全て日本人(倭人)金氏)
 但馬に伝わる風土記『但馬古事紀』にも、神武天皇の兄、稲飯命(いないのみこと)が海を渡り、新羅の第4代の王、脱解尼師今である。
 神武天皇の祖母は、豊玉姫・玉依姫ということは、稲飯命の母も同じで祖は綿津見神(海神)となるのですね。