出石神社

但馬を知るには、まずルーツ!
 紀元前後の古代、但馬から丹後・丹波・近江・若狭までの大丹波王国。
ここは古くから大陸からの渡来や大交易があり日本海の玄関口として開けていました。
たたら製鉄やガラス精製、水晶の加工技術や稲作、養蚕が盛んで王国として栄えていました。
 但馬とは、古代丹波(但馬・丹後・丹波)から文献には684年に分かれたとあります。
 天日槍(アメノヒボコ)・田道間守(タジマモリ)など数々の伝説や「古事記・日本書紀」の伝承、 神社の云い伝え等から、この地の人々が、日本のはじまりの先駆者だったのではないかと考えられます。深くて面白い!
そして、辿ればたどるほど日本の成立ちにとても重要なエリアであるということがわかってきました。
まずは、天日槍がお祀りされている出石神社をご紹介します。

【出石神社】(豊岡市出石町宮内)

御祭神
出石八前大神  イズシヤマエノオオカミ
天日槍命    アメノヒボコノミコト 

「出石神社は、天日槍命(あめのひぼこのみこと)が、新羅の国よりお持ちになりました八種の神宝を出石八前大神として、また、天日槍命の大御霊を御祭神として斎祀しています。
天日槍命は、『古事記』、『日本書紀』ともに新羅国王の王子であり、日本に渡来されたとし、その事蹟は記紀のほか『播磨国風土記』『筑前国風土記』逸文等にうかがうことができます。
八種の神宝とは、『古事記』には珠二貫(たまふたつら)・振浪比礼(なみふるひれ)・切浪比礼(なみきるひれ)・振風比礼(かぜふるひれ)・切風比礼(かぜきるひれ)・奥津鏡・辺津鏡の八種としています。
天日槍命のご子孫には、田道間守命(たじまのもりのみこと)や、神功皇后があります。
神社の創立年代はあきらかではありませんが、社伝の『一宮縁起』には、谿羽道主命と多遅麻比那良岐と相謀り、天日槍命を祀ったと伝え、諸書によりますと、遅くとも八世紀のはじめ頃にはすでにこの地で祭祀がおこなわれていたことがうかがわれます。但馬の国一宮として当地では別名を一宮さんと呼び尊敬されています。
天日槍命は泥海であった但馬を、円山川河口の瀬戸・津居山の間の岩山を開いて濁流を日本海に流し、現在の豊沃な但馬平野を現出され、円山川の治水に、また殖産興業に功績を遺された神として尊崇を集めております。また、鉄の文化を大陸から持って来られた神ともいわれております。

出石神社 御由緒