豊岡市但東町(御祭神 多遅摩比多訶)

創立年月日は不詳ですが、 延喜式の制小社に列し、享保11年拝殿を建立し、寛永元年社殿を修復、 明治3年社殿を現在地に移したと記録が残っています。 本殿は室町時代の建築といわれており、国の重要文化財に指定されています。 本殿は三間社流れ造りで、たばさ み蟇股 (かえるまた) などに特色があります。

また境内には、後醍醐天皇の第六皇子恒良親王が幽閉されたという旧跡もあります。

この本殿の3つの暮股の装飾が気になりました。右が、橘。中央が桐。 左が牡丹。 これは三兄弟を象徴しているのだと思います。 橘は多遅麻毛理。 桐は清日子。 牡丹は多遅摩比多訶。

なぜ、桐が清日子かと言いますと、清峰神社(兵庫県豊岡市森尾)の御祭神が清日子ではないかと思っています。 そこの家紋が桐。桐は皇后となる家の紋に使われます。

清峰神社のある豊岡市森尾には、 森尾古墳がありその出土品には驚きの品がありました。

http://www3.city.toyooka.lg.jp/kokubunjikan/news/news4.pdf (但馬国府・国分寺館ニュース 2006・6 第4号)